こんにちは。しばたくです。
私は今、半年後のフルマラソンを目標に走っています。
そんな私には、忘れられないマラソン大会があります。
2023年12月に参加した広州マラソンです。
コロナ禍を経て、フルマラソンを走るのは約5年ぶり。
50代になって初めて挑むフルマラソンでもありました。
しかし、十分な練習ができないまま大会当日を迎えました。
それでも私は、「多分、走れるだろう」とどこかで思っていました。
結果は、そんなに甘いものではありませんでした。
この記事では、2023年の広州マラソンで私がどんな失敗をしたのか。
そして、なぜそうなってしまったのか。
半年後のフルマラソンを目指す今、反省の意味も込めて振り返ってみたいと思います。
広州マラソン
広州マラソンは、
2014年にハーフマラソン、
2015年、2016年にフルマラソンを走りました。
珠江沿いを走るフラットで走りやすいコース。
初めてフルマラソンを走ったのも広州マラソンです。
私にとっては思い出深い大会であると同時に、
過去に完走した経験が
「今回も何とかなるだろう」
という油断につながっていたのかもしれません。
マラソン本番に向けて
2023年8月に父が亡くなり、
9月に法要もあり、全く走れない時期が続きました。
走行距離の記録を振り返ると、
9月 5km、10月 55.1km、
11月 120.7kmでした。
11月後半に何とか走って距離を重ねましたが、
10月、11月と風邪で体調を崩したことも影響し、
練習不足を自覚して、本番を迎えました。
マラソン前日、ホテルに近い展示会場に
ゼッケンを受け取りに行きました。
多くのランナーがいて気持ちが盛り上がりました。

(2023年12月撮影)
宿泊したホテルは珠江沿いにあるシャングリラホテルです。
泊まり慣れたホテルで、その時は会員ステータスでラウンジが利用でき、
ついつい結構お酒を飲んでしまいました。
今振り返ると、
練習不足を自覚していた人間の行動とは思えません。
ここは大きな反省点でした。
大会当日は地下鉄の始発時刻が午前5時に繰り上げられ、
ゼッケンをつけていると無料で地下鉄に乗ることが出来たため、
私は地下鉄でスタート地点に向かい、
7時前に到着しました。

スタート地点へ
(2023年12月撮影)
皆さん何か見慣れないヘッドホンをつけているのが
気になりました。骨伝導型のヘッドホンで、
私はその頃まだ存在を知りませんでした。

(2023年12月撮影)
スタート前、何か皆さん歌っているなと思ったら、
「中国国歌」でした。中国を感じます。
7:30 いよいよ、スタートです。

久しぶりのマラソンを走って
当日は10時から小雨、
最高気温は27℃の予報でした。
マラソンにはかなり暑いと感じ、不安を覚えました。
それでも、制限時間は6時間。
少し歩くかもしれないけども、
完走は出来るだろうと思い走り始めました。
走り始めて、まず困ったのが音楽でした。
走りながら聴こうと思っていたのですが、
うまく再生できませんでした。
さらにBluetoothイヤホンの充電が出来ておらず、
音楽が聴けなくなりました。
Bluetoothイヤホンを付けてマラソンを走るのは初めてで、
周囲の音が聞こえにくくなるイヤホンで走ることへの
安全面の意識も、当時の私は十分ではありませんでした。
10km地点では、結構きつくなってきていました。
10km以降 珠江を渡る大橋を走る際、登り坂になるのですが、
もうそこで歩いてしまいました。

(2024年12月撮影)
20km以降 足が止まり始め、
歩いたり走ったりを繰り返すという状況に
なってしまいました。
足腰に痛みがはしり、頑張ろうとしても頑張れない状況です。
30km手前では全身に激痛を覚えて、
「これは限界かもしれない。練習しなければ、
こうなるんだな」と苦しみを受け止めながら、前に進みました。
制限時間6時間のペースランナーに追い抜かれ、
どんどん離されながら、
とぼとぼと、歩くようなペースで前に進みました。
遠くに35kmの関門が見えます。
警察官が交通規制をしていますが、
もう関門の制限時間には間に合わないことは
知っていました。
私が関門に到着する前に、
交通規制が解除され、
車が一気に走り出した光景を覚えています。

私は歩道を進んで、
何とか35km地点まではたどり着き、
そして路傍に座り込みました。
初めてのマラソンリタイアでしたが、
私はむしろほっとしたことを覚えています。
55歳からのマラソンに向けて
2015年に初めてフルマラソンを走った時は、
42.195kmという距離への恐怖心がありました。
だからこそ練習しました。
そして、思っていた以上に走ることができ、
「練習は裏切らない」と実感しました。
一方、2023年の広州マラソンでは、
十分な練習ができていないにもかかわらず、
「多分、走れるだろう」と思っていました。
結果は35kmでリタイア。
練習しなければ走れない。
当たり前のことを、今度は失敗によって
体で理解しました。
あの時、遠くに35kmの関門を見ながら、
交通規制が解除されていった光景は今でも覚えています。
そして今、私は55歳になりました。
半年後、もう一度フルマラソンに挑戦します。
今度は「多分、走れる」ではなく、
きちんと練習を積み重ねて、
走れる身体をつくってスタートラインに立ちたい。
2023年の広州マラソンで味わった苦しさも、
これからの挑戦に生かしていきたいと思います。
