600年の首都の重み
こんにちは、しばたくです。
北京には2回、合計で9年住みました。
初めて住んだのは2005年から2007年。
北京オリンピック直前で、街全体が未来へ向かって
勢いづいていた頃です。
二度目は2019年から2024年。
今度はコロナ禍という、まったく違う空気の北京で
暮らしました。
その北京は、明・清時代を含めて600年以上にわたり、
中国の首都であり続けています。
中華人民共和国の建国から現在に至るまで、
政治の中枢であり、
国家の象徴でもある北京。
しかし、北京に住みながら、決して便利とは言えない、
この都市が「なぜ首都なのか」という疑問を持ち続けて
いました。
この記事では、北京が首都であり続ける
歴史的・地理的・政治的理由を解説するとともに、
現代都市としての課題にも光を当てていきます。
北京が首都である理由:歴史・地政・政治の3つの軸
1. 歴史的正統性:明・清・共産党政権の連続性
北京が首都として最初に本格的に機能したのは、
明の永楽帝(1403年即位)による遷都以後です。
彼はもともと北方の軍閥的地盤を持ち、内モンゴルや北元に
対する防衛の要として、
南京から北京へ都を移しました。
以後、清朝も北京を継承し、約500年にわたって「帝都」
として発展します。
1949年、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したのも
北京です。
このことは、「北京が中国国家の正統な継承者である」
という象徴的な意味合いを持ちました。
歴史の連続性と革命の出発点が重なる都市、それが北京
だったのです。
2. 地理的優位性:北方防衛と内陸部へのアクセス
北京は、華北平原の北端に位置し、南は農耕地帯、
北はモンゴル高原という自然地理の境界にあります。
中国史において、北方の遊牧民族
(匈奴、契丹、金、元、満洲族)との攻防は
常に重大なテーマであり、
北京はその最前線でもありました。
北方の民族に対する、防衛は首都を最前線に置かなければ
ならないほどに、極めて重要だったということです。
さらに、北京は西安や南京、上海などの都市に比べて
内陸部や北東アジアへのアクセスにも優れ、
長江流域と満洲・朝鮮半島の間をつなぐハブの役割を
果たしてきました。
3. 政治と制度の集積:中華人民共和国の中枢機能が集中
今日の北京には、
国家主席の執務機関である「中南海」、
立法機関の「人民大会堂」、
共産党中央、政府各省庁、
軍の総司令部がすべて集約されています。
さらに北京大学や清華大学といった最高学府、
中央テレビ局(CCTV)、人民日報などの
国家メディアもあり、
政治・教育・文化の全機能が統合されています。
つまり、北京は単なる都市というよりも、
「国家の縮図」として設計され、運営されているのです。
首都としての北京が抱える課題
では、その北京が現代の超大都市としてどのような課題を
抱えているのでしょうか。
以下では、市民生活に直結する主要な問題を3つの観点から
解説します。
1. 人口集中、都市機能の過密化と閉塞感
北京市の常住人口は2,300万人を超え、
中心部では人口密度が1平方キロあたり2万人を
超えることもあります。
これにより住宅価格の高騰、
公共サービスの逼迫、通勤時間の増加といった問題が深刻化。
都市インフラのキャパシティを超えつつあります。
そして、私が北京で暮らしていて感じていたのは、
都市そのものにどこか閉塞感があることでした。
例えば、南の大都市 広州は、南へ南へと都市を拡大させて
いて、香港方面の海へと向かって発展する都市設計で、
次々と新しい高層ビルが立ち並んでいます。
一方、北京は都市を広げず、さらに都市の密度を上げる
方策を取っているように感じます。
北京は、故宮を中心として、
二環路、三環路、四環路、五環路といった環状道路が
広がりますが、建設物は四環路内に集中します。
その中に人口や機能が凝縮されているように感じました。
新しいビルも建っていますが、その建築スピードは、
上海、広州に比べれば遅く、
私たち外国人が住むマンションも古い物件が多く、
実際、私も2005年当時からあった物件に、2019年には
倍の家賃を払って住むことになりました。
北京では通州副都心などへの機能分散も進められていますが、
それでも私には都市全体の閉塞感が解消されたようには感じられ
ませんでした。
私が感じた閉塞感とは、
「この街にはまだまだ広がっていく未来がある」
という感覚よりも、
「限られた空間に人も機能も押し込められている」
という感覚でした。
2. 首都・北京で感じた管理社会
北京の街を歩いて驚くことは、監視カメラの多さです。
一回目の北京、2005年~2007年の頃は、故宮の前も自由に
散策できました。
道端に屋台もあったと思います。
その頃までは、北京は大きな田舎とも言われており、
のどかさがありました。
しかし、今では、故宮や万里の長城など、
どの観光地に行くにも、身分証明書、
外国人であればパスポートの提示は必須であり、
厳しいセキュリティチェックもあります。
国際線の飛行機に乗るような、チェックを受けなければ
観光もできません。
また、地下鉄に乗るにも手荷物検査があり、
うっかり果物ナイフをスーパーで買って、地下鉄に乗ろうと
した時、没収されることになってしまいました。
北京は公園の多い都市で、公園自体は緑豊かです。
ただ、どの公園も柵で囲われてり、管理されていることを
強く感じます。
緑は多いのですが、「自由に使える公園」というより、
「管理された空間」という印象を受けました。
この監視体制は、コロナ以降さらに強まった印象があります。
3. 首都・北京で感じた若者の将来への不安
北京で私が通っていた柔術道場には、
20代、30代の若者が多く集まっていました。
しかし、コロナ禍で管理が強まるにつれ、
一人、また一人と北京を離れていきました。
地方へ戻る人。
海外へ挑戦する人。
そして館長自身も、
北京での道場運営を断念し、
地方へ移る決断をしました。
その光景を見ながら、
私は北京という都市の将来に、
どこか閉塞感を覚えました。
中国では若者の就職難が話題になりますが、
私が実際に目にしたのは、統計ではなく、
若者たちが、自分の未来を北京以外に求めていく姿
だったのです。
歴史を背負う都市の、未来への挑戦
北京は、長い歴史を背負いながらも、
現代国家の中枢として都市運営を続けています。
しかし、その首都機能は、地理的制約と急速な都市化に
よってさまざまな課題に直面しています。
私は北京に二度、合計9年間暮らしました。
私自身は、北京を決して暮らしやすい街だとは感じません
でした。
しかし、中国という国を理解するためには、
一度は住む価値のある都市だと思っています。
首都だからこそ見える中国があり、地方都市では見えない
中国もあります。
だから私は今でも北京を定期的に振り返り、
このブログで発信し続けたいと思っています。
