上海 中国初上陸したときの思い出

北京生活

こんにちは。

しばたく@北京 柔術初心者です。

現在、中国在住19年目になります。98年の香港に始まり、広州、北京、広州、北京と駐在。94年に社会人になって29年目、そのうち19年は中国で生活をしてきました。

私が中国に初めて訪れてたのは、30年前 93年の夏休み。
当時、中国語を専攻する大学生だった私は、大阪の南港からフェリーで上海に渡りました。約3週間、バックパッカーとしての旅の始まりでした。

事前に手配していたのは、初日のドミトリーの宿と帰りの上海から長崎に向かう飛行機のチケットのみ。あとは全く予定を決めずに、中国に向かいました。
初日の宿をチェックアウトして、当面のホテルを探しに、上海の繁華街を歩き、ホテルに
直接行って部屋があるか聞くと、どのホテルも「没有(無い)!」の返事ばかり。

当時は、まだ全くサービスの考え方の無い中国では、商品があっても、宿があっても
自分の仕事を増やさないために、「没有(ない)」と答えるのは日常茶飯事のことだった
ようです。

散々断られ、上海の中心から外れた場所で、ようやくドミトリーの宿を確保しましたが、
安堵のあまり、涙してしまったことを覚えています。

旅の当初は、何と無く北京を目指そうと思っていたのですが、

今思えば、8月は中国でも夏休みの旅行シーズン、またチケット販売は、全く電子化されておらず、窓口に並んでの購入でした。連日並んでみても、毎回売り切れ。結局手に入ったのは、大連行きの船のチケットのみでした。

大連では、中国人向けの招待所と言われれるドミトリー形式の宿に宿泊。

ここから、また北京を目指すもチケットは購入できず、最終的に手に入ったのは、東北黒竜江の都市ハルピン行きの列車のチケットでした。
列車の時間が、早朝だったため、夜のうちに大連駅に行って発車を待ったのですが、深夜駅が閉まってしまったので、駅の前で待つことに。

用心のため、バックパックはチェーン錠で身体に固定しておいたのですが、デイバックを
抱えて寝てしまい、デイバックを盗まれてしまいました。
パスポートやトラベラーズチェックは腹巻に入れていたので、無事だったのですが、ここで地球の歩き方を失くしてしまったのは、痛かったです。

ハルピンに到着後、親切そうに声をかけてきた若者に騙されたりしつつ。ハルピンでは、主に重点大学である、ハルピン工業大学の招待所に宿泊しました。そこで、日本人の名前を見つけ、長らく日本人に会っていなかった寂しさから、思わずその方の部屋を訪ました。
ハルピン工業大学で、日本語を教えている先生のご夫婦で、暖かく迎えて下さいました。

その先生から、

「あなたのように中国語を勉強している方には、中国の表面だけを見るのではなく、
その理由背景を考えて欲しい。良く、中国の街は埃っぽいと文句を言う人がいるが、
それにも理由がある。」

と言われ、その言葉は、その後 私が中国に接する時の考え方に大きな影響を与えました。

上海から長崎に飛ぶ日にちは決まっていたのですが、またハルピンから上海への飛行機の
チケットがどうしても取れず、たまたま泊まったホテルにあった日系商社の事務所に
飛び込み、助けを求めしました。親切にチケットを手配して下さり、無事に上海へ移動。
その後、長崎向けて帰国することが出来ました。

今は、非常に便利になった中国。スマホ一つで何でもできます。でも、苦労はしたものの、不便だったころの中国も良かったなと、時々懐かしく思います。

タイトルとURLをコピーしました