こんにちは。しばたくです。
私が北京で柔術を始めて、
1年ほど経った頃のことです。
コロナ禍を挟み、
道場のメンバーは大きく変わっていました。
平日夜のクラスは10人に満たないこともありました。
多くは20代、30代。
熱心に練習していても、
仕事などの事情で定期的に通えなくなり、
やがて道場から姿を見なくなる人もいました。
この記事では、当時私が通っていた北京の柔術道場で、
若いメンバーが、
柔術を続けられなくなっていく姿を見ながら、
私が感じたことを書いてみます。
仕事と柔術を両立する難しさ
北京は政治の中心地でもあり、
私自身、仕事や生活のプレッシャーを感じることの
多い都市でした。
私が一緒に練習していた若者たちを見ても、
仕事と柔術を両立することは簡単ではないようでした。
熱心に通っていても、
仕事のために練習時間を確保できない人がいました。
仕事の途中で道場へ来て、遅れて練習に参加する。
しかし最後のスパーリングまでは残れず、
また仕事へ戻っていく。
そのような若者の姿をよく目にしました。
特に印象に残っている女性メンバーがいます。
私とほぼ同じ時期に柔術を始め、
よく一緒に練習し、スパーリングもしていました。
上達も早く、私より少し先を進んでいるように
感じることもありました。
その彼女が、仕事との両立ができなくなり、
泣きながら柔術を辞めていったのです。
柔術が嫌になったわけではありません。
続けたくても、続けられなかったのです。
北京を離れる若者たち
私が通っていた道場では、
熱心に練習していた若者が北京を
離れてしまうこともありました。
当時、道場に通っていた若者の中には、
海外経験があり、
比較的裕福な家庭で育った人も多くいました。
コロナ禍を経て、そうした若者たちの中から、
北京を離れ、再び海外へ渡っていく人が出てきました。
柔術を始めたばかりの頃から、
よく声をかけてくれて、
少し日本語を話せる若者がいました。
ところが、ある時から道場へ来なくなりました。
後になって館長から、シンガポールへ渡ったと聞き、
ショックを受けたことを覚えています。
また、コロナ禍の中で北京を離れ、
地元へ戻ることを選んだ地方出身のメンバーもいました。
ほぼ同時期に柔術を始め、同期のような親しみがあった
若者が北京を去ったと聞いた時も寂しさを覚えました。
一緒に練習していた仲間が、
それぞれの事情で一人、また一人と
北京を離れていきました。
一方、当時継続して道場に通っていたメンバーには、
警察官や政府機関で働く人など、
比較的仕事が安定しているように見える人が
多かったように思います。
柔術だけが人生ではなかった
以前一緒に練習していた若者が、
いつの間にか道場へ来なくなったこともありました。
その後、館長から、
その若者は今度はダンスを楽しんでいると聞きました。
柔術をやめたというより、
また別の好きなものを見つけたのかもしれません。
北京のような大都市には、
柔術以外にもたくさんの選択肢があります。
そう考えると、一つの趣味を何年も続けること自体、
当たり前ではないのだと思います。
北京の道場で出会った若者たちを思い出すと、
柔術を続けることは、
本人の意志だけでは決まらないのだと思います。
仕事があり、生活があり、家族があり、
その中に柔術があります。
私自身も、いつまで柔術を続けられるかは分かりません。
それでも今、道場へ行ける環境にいる。
だったら、行けるうちは行こう。
北京で一緒に練習した若者たちを思い出すと、
今はそんなふうに思います。

