こんにちは、しばたくです。
中国で約20年間暮らしていると、
「街の景色が変わった」と感じる瞬間が何度かありました。
その一つがBYDです。
私が最初に中国へ赴任した2000年当時、
BYDはまだほとんど意識する存在ではありませんでした。
その後、中国へ何度も赴任する中で、
深圳ではBYDの電気タクシーを見かけるように
なりましたが、正直なところ
「実用性重視の中国メーカー」という印象でした。
ところが2019年に北京へ赴任した頃には、
その印象は大きく変わっていました。
街中で見かけるBYDは、デザインそのものが洗練され、
「これがBYDなのか」と驚いたことを今でも覚えています。
この記事では、私が20年間中国で見てきた
BYDの変化を通して、中国社会がどのように
変わってきたのかをお伝えしたいと思います。
中国大陸に初めて駐在して感じたこと
私が中国大陸に初めて駐在したのは、
2001年3月 広州でした。
この時、私は旧市街地の花園ホテルに住んでいましたが、
経済開発区にある工場まで同僚と車で乗り合いで
通っていました。
車は古い日本車でした。
そして、広州にはホンダの合弁工場があり、
毎日 その工場の看板を目にしながら通勤していました。
当時の中国では、フォルクスワーゲンやGMなどの
合弁メーカーが街を走っていましたが、
その中でホンダが広州に合弁工場を作り、「アコード」を
生産しました。
ピカピカのアコードが広州の街を走る姿がカッコよく、
日本人として、とても誇らしく感じたのを覚えています。
会社の同僚と古い会社の車を、いつか新車のアコードに
換えたいねと話していました。
その頃、中国メーカーの存在感は
今とは比べものにならないほど小さかったように思います。
街中でも、ほとんど意識することもありませんでした。
BYD 自動車業界への参入
BYDを意識するようになったのは、
2010年1月から2回目の広州駐在をした時からです。
BYDは1995年に電池メーカーとして創業し、
その後2003年に自動車事業へ参入しました。
ただ、広州駐在当時は、広東省深センに出張する際、
あまりデザインのよくないEVタクシーが多く走っていて、
それがBYD製であることを意識するくらいでした。
BYDの急成長
私が北京に戻った2019年頃、
北京の街では、BYDが以前よりもずっと洗練されたデザインになっていることに気付きました。
BYDは以前とはまったく違う印象のメーカーに
なっていました。
以前は「価格で選ばれる車」という印象でしたが、
この頃には「デザインで選ばれる車」へ
変わり始めているように感じました。
BYDは欧州メーカー出身のデザイナーを迎え入れ、
「Dragon Face(龍顔)」と呼ばれる
デザインコンセプトを採用しました。
この頃からBYDの車は、
一目で「BYDだ」と分かるデザインになりました。
このデザインを境に、
BYDは「どこかで見た車」ではなく、
「BYDらしい車」を作るメーカーへ変わっていったように、私は感じています。
中国で古くから特別な存在とされてきた
龍をモチーフにしたフロントデザインは、
中国らしさを前面に打ち出したもので、
それまでの「海外メーカーに似せる」という発想から
一歩踏み出した象徴だったように感じます。
デザインの変化は、単なる見た目の改善では
ありませんでした。
以前は「欧米ブランドに似ている」と
言われることも多かった中国車が、
自分たちのデザインを語るようになったのです。
私自身、「中国メーカーにも、こんなデザインの車が
作れる時代になったのか」と驚きました。
そして、中国の歴史上の王朝名である
「秦」「漢」「唐」などを車名に採用し、
象徴的な名前となりました。
私が中国へ行き始めた頃であれば、
こうしたネーミングは海外市場では通用しないという
考え方が一般的だったかもしれません。
しかし現在のBYDには、中国文化そのものをブランドの強みに変えようとする自信が感じられます。
中国ブランドへの自信
同じ頃、中国ではHUAWEIやBYDなど、
自国ブランドを積極的に選ぶ若い世代が
増えていることも感じました。
以前は「輸入ブランドを買えないから中国ブランド」
という空気もありましたが、
近年は「中国ブランドだから選ぶ」という価値観が
少しずつ広がっているように思います。
もちろん、すべての人がそうではありません。
しかし、中国人スタッフと話していても、
その変化を感じることは少なくありませんでした。
北京駐在中、市内や出張先で何度も
BYDのタクシーを利用しました。
運転手の方々と話をしていると、自分たちの車に
誇りを持っているように感じる場面が何度もありました。
私が中国で暮らし始めた頃は、
「やっぱり日本車が良い」
という声を耳にすることが少なくありませんでした。
そのことを思うと、この変化はとても印象的でした。
BYDが象徴する中国の変化
BYDを見ていて感じるのは、中国の自動車産業が
「誰かに追いつく」時代から、
「自分たちらしさ」を追求する段階へ入ったことです。
もちろん、技術や品質については今後も様々な
評価があるでしょう。
それでも、中国車が「安い代替品」というイメージだけでは
語れなくなったことは、現地で暮らしていた私自身も
強く感じています。
2001年当時、
私にとって「憧れの車」はホンダ・アコードでした。
当時の中国でも、日本車や欧州車が街の主役でした。
あの頃、「20年後には中国メーカーが世界市場で
日本メーカーと競争する時代になる」
と言われても、私はとても信じられなかったと思います。
中国ブランドは「海外ブランドの代替」という見方が
一般的でした。しかし現在、
中国では「中国ブランドだから選ぶ」
という人が確実に増えていました。
BYDの成長は、一企業の成功というだけでなく、
中国社会の価値観や自信の変化そのものを
象徴しているように、私には感じられます。
私にとってBYDは、単なるEVメーカーではありません。
20年間見続けてきた中国という国が、
「世界に追いつく側」から
「世界をリードしようとする側」へ
変わっていく姿を象徴する存在でもあります。
中国という国を理解する上で、
BYDは今や欠かすことのできない存在になったと、
私は感じています。

