55歳で太陽の塔を訪れて|30年ぶりの北摂で感じたこと

50代の挑戦

こんにちは、しばたくです。

2026年8月、大学時代を過ごした大阪の北摂を訪れました。そして、ふと太陽の塔とその内部を見てみたくなりました。

北京時代に、岡本太郎氏の本に出会い、岡本太郎氏の考え方に惹かれ、そして岡本氏が製作を監督指揮された太陽の塔にも興味を持つようになりました。

今の私のスマホの待ち受け画面も太陽の塔です。

この記事では大学以来、30年以上ぶりに大阪の万博記念公園を訪れ、太陽の塔とその中を見学して感じたことをお話しします。

大阪の北摂を訪れて

8月の夏休み、なぜか大学の校舎跡地を見てみたくなりました。卒業して30年以上、一度も訪れていません。

私は大学で中国語を学びました。55歳になり、改めて、自分の原点を確認してみたくなったのかもしれません。

大阪自体、本当に久しぶりです。私は敢えて岡崎から在来線を使って時間をかけて大阪に向かいました。

電車を乗り継ぎ、阪急北千里駅から1時間かけて歩き旧校舎跡地へ。

地図アプリの写真では、まだ校舎が確認できたので、何かが残っていることを期待して訪れましたが、校舎は跡形もなく取り壊されていました。

跡形もなくなっていた、大阪外国語大学 跡地
(2026年8月)

私は少し寂しく感じつつ、全てが無くなっていることに、逆にすっきりした気持ちもしました。

万博公園、そして太陽の塔へ

私は北千里駅へ戻るのも歩き、8月の炎天下、往復2時間歩き、へとへとになりながらも、30年以上前と変わらない景色を眺めて歩きました。

そして、電車で万博記念公園へ向かいました。万博記念公園に来るのも大学以来です。公園を入るとすぐに、太陽の塔がありました。

太陽の塔(2026年8月撮影)

今まで写真で見て、スマホを開く度に待ち受け画面で見ていた、そのままの太陽の塔でした。

太陽の塔の中へ

太陽の塔の中に入れることは知っていましたが、私は古くなった内部構造をイメージしていました。ただ、入れるものならせっかくだから入っておこうと入場券を事前予約したのです。

太陽の塔に入ると、私の期待は大きく裏切られました。

足元から、どーんとてっぺん近くまで気が伸び、すごい生命力を感じます。

太陽の塔 内部(2026年8月撮影)

中は色鮮やかに改修されていました。階段を登り見学を進めると、それが生命の進化を表していることに気がつきました。

生命の起源から、進化そして最終的に人類へ。

太陽の塔 内部(2026年8月撮影)

来る途中、誰かが黄金の顔が未来を表しているらしいよと言っているのが聞こえていました。

私はなるほどと思いました。生命の起源から人類まで伸びた生命の木、そしててっぺんから外の黄金の顔は未来に向かっている。

私は、その熱量に圧倒されました。

大阪万博が開催されたのは、1970年。私が生まれる一年前です。そんな以前に、これほどの作品が生み出された当時の情熱にも思いを馳せました。

私は明確に何かを受け取って、太陽の塔を後にしました。

55歳で感じたこと

50代になり、虚しい思いに苦しんできました。

以前のように仕事で自分が中心となって、がむしゃらに頑張って注目されることも少なくなりました。家庭でも子供たちにも手がかからなくなり頼られる場面も減りました。

自分の存在を家庭や仕事で必要とされることで実感することが難しくなり、自分は自分の足で立って前を向くしかないと、もがいてきた気がします。

そして、太陽の塔を訪れ、その内部を見学し、生命の木がしっかりと地に根を下ろして、はるか天井まで木を伸ばしし太陽の塔の黄金の顔は未来を向いているのを見て、私自身もぐっと地に足がついたように感じました。

55歳から、しっかりと自分で自分の存在を認め、地に足をつけて進んでいきます。

太陽の塔の訪問も、その一つのきっかけとなりました。

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