中国初上陸から30年が経ちました

北京生活

こんにちは。
しばたく@北京 柔術初心者です。
今回の北京駐在は、
間もなく丸5年。
中国駐在は5回目。
合計約20年になります。

この記事では、私が中国に初上陸
した時のことを振り返ってみたい
と思います。

フェリー「鑑真号」で大阪南港から上海へ!

30年前、当時大学4年生。
中国語を専攻していた私は、
約3週間バックパッカーとして、
初めて中国を訪れました。

事前に予約していたのは行きの
フェリーと初日の宿、
それと帰りの飛行機のチケット
だけでした。

学生としての気負いもあり、
何とかなるさと思い、
「地球の歩き方」を片手に
大阪南港からフェリー「鑑真号」
で上海へ。
初日は決めていたホテルに滞在。
二日目以降、まずは宿探しから
始めました。

いくつかのホテルを回りましたが、
返ってくるのは「没有(無い)」の
返事ばかり。

当時、サービスの考え方が
全く無かった中国では商品が
あっても、部屋があっても
自分の仕事を増やさないように
「没有(無い)」
と答えるのは日常茶飯事でした。

結局、市街地から少し離れた
エリアまで流れていき、
ようやく6人部屋のドミトリーの
部屋にたどり着いた時には、
思わず涙してしまったのを
覚えています。

その後は、まず北京を目指そうと
考え、駅の窓口に行きました。

北京行きの列車のチケットを購入
するために、売り場に並んでも、
売り切れ続きで買えず。

結局、手に入ったのは、大連行きの
船のチケットでした・・・。

上海から大連、そしてハルピンへ

まず、大連に行って、そこから
北京を目指そうと考えましたが、
大連駅で並んでも並んでも
北京行きのチケットは買えません
でした。

手に入ったのはロシアに近い東北の
ハルピンという都市へ行く列車の
チケット。

北京からは、どんどん遠くなって
しまいますが、旅を続けるために
ハルピンを目指すことにしました。
列車が早朝だったため、深夜から
大連の駅前で待つことに。

しかし、待っているうちに、
つい眠ってしまい、バックパックと
小さなリュックを持っていたの
ですが、リュックの方を盗まれて
しまいました。

バックパックはチェーン錠で
ズボンに固定していたのと、
パスポートとトラベラーズチェック
は、腰巻きで服の下に入れていた
ので、何とか無事でした。

しかし、ここで「地球の歩き方」も
一緒に盗まれてしまい、旅の情報
入手が難しくなりました。

ハルピン駅に着いて、まずは
声をかけてくれた親切な青年に、
騙されぼったくられましたが、
何とか宿は見つかり、中国の
重点大学であるハルピン大学の
招待所という宿泊施設に
泊まることができました。

そこで日本人が住んでいることを
知り、長らく日本人と会って
いなかった寂しさから、その方の
部屋を訪ねました。

ハルピンでの出会い

その日本人の方はハルピン大学で
日本語を教えている先生で奥様と
住んでらっしゃいました。

その先生から、
「皆さん、例えば中国は埃っぽいと
いうけど、それにも気候の影響など
理由がある。
中国語を学ぶあなたは、表面的な
ことばかりを見るのではなく、
その背景にあることを考えて
欲しい。」と言って頂きました。

その言葉は、その後 私が中国と
接する時の考え方のベースに
なっています。

ハルピンから上海に移動する
飛行機のチケットはやはり自力
では取れず、結局 ハルピンに
あった日系商社オフィスを訪ねて
助けてもらいました。

何とか上海行きのチケット入手して、
無事日本に帰国出来ましたが、
今思い出すと、本当に不便な旅
だったなと実感します。

この記事では、私が初めて中国を
訪れた時の様子をお伝えしました。

それから30年。
今や、キャッシュレス決済や様々な
アプリで、中国は非常に便利に
なりました。
私たち外国人も、中国語を話さなく
ても、移動でき物を購入し、食事を
注文することが出来ます。

しかし、昔の不便さを懐かしく
思い、それはそれで楽しかったな
と思ってしまいます。

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