北京観光の必見!人民大会堂の歴史と魅力

北京生活

こんにちは、しばたく@北京です。
人民大会堂は、北京を訪れる観光客にとって、必見の名所の一つです。
中国の政治の中心である天安門広場に位置し、国内外からの重要なイベントや政治会議が開催される場所としても知られています。
また、内部を見学することで、中国の政治や文化に触れる貴重な機会を得ることができます。

この記事では、北京観光では必見である人民大会堂の歴史と魅力について、お伝えします。

見学と利用

人民大会堂は、中国北京市の天安門広場西側に位置する重要な建築物です。
その内部は特定の行事がない限り見学することができます。
見学者は、事前に入場券を購入する必要があり、入場券は中国版LINE Wechatのミニプログラムから購入します。

見学時間は日によって異なり、特に団体観光客が多い場合には、入場に長時間を要することがあります。見学ルートには、万人大会堂をはじめ、主要な会議室や食堂などが含まれています。

万人大会堂は、人民大会堂の中心的な施設であり、演奏会、演劇、バレエなどの文化イベントも頻繁に開催されています。このため、見学者は訪問前にスケジュールを確認し、特別な行事が行われていない日を選ぶことが必要です。

人民大会堂の見学は、中国の政治や文化に触れる貴重な機会であり、施設の大規模な構造や歴史的背景を理解するために有益です。館内の見学には一定のルールとマナーが求められるため、ガイドの指示に従い、他の見学者や施設に配慮する必要があります。

人民大会堂の基本情報

人民大会堂は、主に全国人民代表大会などの議場として使用されるほか、外国使節や賓客の接受の場所としても利用されています。この建物の敷地面積は150,000平方メートル、延床面積は171,800平方メートル、高さは46.5メートルに達します。

人民大会堂の建設は、1958年10月に始まり、1959年9月に竣工しました。建設は中華人民共和国の建国10周年を記念したもので、十大建築の一つとして位置付けられています。
このプロジェクトは、ボランティアの手によって進められ、わずか10ヶ月で完成しました。
建築を担当した木工青年突撃隊のリーダーは李瑞環でした。

この建物は、中央に万人大会堂、北側に宴会ホール、南に全国人民代表大会常務委員会事務所ビルの3つの部分から構成されています。合計17万平方メートルを超える床面積と300室の部屋を有し、多様な用途に対応しています。各会議場には中国の行政区分にちなんだ名前が付けられ、各地の風土にちなんだ装飾が施されています。人民大会堂は中国の重要な政治イベントの会場であり、国際的な外交活動の拠点としても機能しています。

構造と施設

人民大会堂は、中央に万人大会堂、北側に宴会ホール、南側に全国人民代表大会常務委員会事務所ビルの3つの部分から構成されています。
建物全体の床面積は17万平方メートルを超え、300室の部屋を有しています。
各会議場は中国の行政区分にちなんだ名前が付けられ、それぞれの地域の風土にちなんだ装飾が施されています。

万人大会堂は、10000席を備えた大規模な会議場であり、毎年3月には全国人民代表大会(全人代)と中国人民政治協商会議が2〜3週間にわたって開催されます。
また、5年に一度の中国共産党の党大会もここで開催されます。このように、人民大会堂は重要な政治イベントの会場として利用されています。

近年、人民大会堂は老朽化に伴い、天井や壁の崩落、電気配線の故障などの問題が発生しています。
そのため、数回にわたる改修工事が行われており、安全性と機能性の維持が図られています。
また、現在中国で発行されている100元紙幣の裏面には、人民大会堂の図柄が採用されています。

建設の歴史と背景

  • 1956年に中国は第1次五カ年計画を前倒しで達成し、人民の生活水準が大幅に向上。
    この成果を受け、中国共産党は大型の礼堂を建設し、党中央の会議に使用することが計画されました。
  • 1958年7月、北京市計画局はモスクワを視察し、1万人を収容できる礼堂の建設準備を開始。
    同年8月、中共中央は建国10周年を祝うため、万人礼堂を含む重要な建築プロジェクトの実施を北京で指示しました。
  • 1958年9月、各地から専門家が北京に集まり、設計案の提出を始めましたが、設計案の進展は遅れ、周恩来総理の指示により、設計チームには若いメンバーが参加。
    これにより新旧専門家の協力が進み、最終的な設計が決定しました。
    人民大会堂のデザインは、周恩来総理の詩「落霞と孤鷺が飛び、秋水と長天が一色」からインスピレーションを受けました。
    これにより、巨大な室内空間が和らげられるような設計が施されました。

大型の礼堂は、党中央の会議や国際的な行事に使用される重要な施設として計画。人民大会堂は、急ピッチでの建設が進められ、わずか10ヶ月で完成しました。この建設プロジェクトは、国家の重要な記念事業として位置づけられました。

建設の詳細と逸話

人民大会堂の建設には、1.5万人以上の工事労働者が参加。
1958年10月26日から1959年8月までのわずか280日間で主体工事が完了しました。

設計には「柱廊の移動」という逸話があります。人民大会堂の主入口の柱が完成した後、中央の三つの間隔が9メートル、それ以外の間隔が7メートルであり、これは伝統的な建築の規制に合わないという指摘がありました。この問題に対し、当時の北京建築設計院の総建築師であった張博は、中央の2つの柱を外側に少し移動させることで、中央の間隔が広く、両側の間隔が狭くなるようにしました。これにより、大規模な構造変更を避けることができました。

建設中には多くの困難がありましたが、最終的にはプロジェクトは成功裏に完了。
人民大会堂はその後も中国の政治活動や外交活動の中心として重要な役割を果たし続けています。
この建物は、全国人民代表大会や中国共産党の党大会など、重要な政治イベントの会場として使用されています。また、施設の老朽化に伴い、天井や壁の崩落、電気配線の故障などの問題が発生し、数回にわたる改修工事が行われています。

その建設の過程で多くの逸話と工夫があり、現在でも中国の政治と外交の中枢としての役割を担っている人民大会堂。北京を観光される際には、是非訪れてみてください。

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