北京観光なら必見!頤和園の歴史と見どころ

北京生活

北京は多くの歴史的観光地が点在していますが、
その中でも頤和園(いわえん)は清朝時代の壮大な庭園として特に有名です。
1998年にユネスコの世界遺産にも登録されています。

頤和園は、清朝第6代皇帝 乾隆帝が母親の長寿を祝って造営したものであり、その歴史的背景と文化的価値から、中国屈指の名園とされています。
北京観光で頤和園を訪れることで、中国の歴史と文化を深く感じることができます。

頤和園の概要と魅力

中国の首都北京にある「頤和園」は広大な敷地と美しい景観を特徴とし、その広さは約290万平方メートル、東京ドーム約62個分に相当します。

北京最大の皇族庭園として知られていますが、園内には乾隆帝が江南地方の風景を再現した人工湖「昆明湖(こんめいこ)」が広がっています。
昆明湖は園内の約4分の3の面積を占め、その湖畔には色鮮やかな中国風建築が点在しています。
これらの建築物は、乾隆帝が江南地方の景観を模して設計したもので、頤和園の美しい景観を形成しています。

頤和園の象徴である仏香閣(ぶっこうかく)は、万寿山の中腹に建つ八角三層の美しい塔で、高さは約36.5メートル。
この塔は乾隆帝が母親の健康と長寿を祈願して建立したもので、現在では高さ5メートルの千手観音菩薩像が安置されています。
仏香閣は頤和園のシンボルとして、多くの観光客に親しまれています。

また、昆明湖の北岸に沿って伸びる長廊は、728メートルの長さを誇る回廊で、その梁には花鳥画や風景画、歴史画が描かれています。
長廊は「乾隆帝の散歩道」としても知られ、歴史的な価値が高い場所です。
長廊の絵画には、中国の歴史や文化が描かれており、観光客にとって見どころの一つです。

頤和園には他にも、乾隆帝が最も愛した場所と言われる蘇州街があります。
このエリアは、江南地方の蘇州の美しい風景を再現したもので、東西約300メートルの範囲に60以上の商店が軒を連ねています。
雑貨屋や質屋、薬屋、骨董品屋、茶楼などが並び、蘇州の風景を再現した街並みが楽しめます。

さらに、昆明湖北岸の西端には清晏舫(せいあんぼう)という全長約36メートルの石造りの船があります。
この船は西太后のお気に入りの場所で、しばしば豪華な宴会が開かれたと言われています。
清晏舫は「沈まぬ船」とも呼ばれ、清朝末期の栄華を物語る場所です。

頤和園は、その広大な敷地と美しい景観、歴史的な価値から、中国屈指の名園として知られ、万里の長城や故宮(紫禁城)と並ぶ必見の観光名所となっています。

頤和園の主要スポット

頤和園の注目すべきスポットを改めて紹介します。

仏香閣

万寿山の中腹にたつ頤和園のシンボル的な存在。
高さ約36.5メートルの八角三層の塔で、乾隆帝が母親の健康と長寿を祈願して建立しました。
現在、塔の内部には高さ5メートルの千手観音菩薩像が安置されています。
仏香閣は1860年に焼失しましたが、後に清朝末期の西太后によって再建されました。

長廊

昆明湖の北岸に沿って伸びる全長728メートルの回廊。
梁には花鳥画や風景画、歴史画が描かれており、その数は14,000枚以上にも及びます。
長廊は「乾隆帝の散歩道」としても知られ、清朝の歴史や文化を垣間見ることができます。
三国志や西遊記などの物語がテーマとなった絵も多く、日本人にもなじみの深い内容が描かれています。

蘇州街

乾隆帝が江南地方へ行幸した際に感銘を受けた蘇州の風景を再現したもので、東西約300メートルの範囲に60以上の雑貨屋、質屋、薬屋、骨董品屋、茶楼などの商店が軒を連ねます。
乾隆帝が頤和園の中で、最も愛した場所と言われています。

清晏舫

清晏舫は、昆明湖北岸の西端に位置する全長約36メートルの石造りの船。
「沈まぬ船」とも呼ばれ、清朝末期の栄華を物語る象徴的な場所です。
西太后が特に気に入っていた場所で、しばしば豪華な宴会が催されました。

これらのスポットは、頤和園の歴史と文化を深く理解する上で欠かせない場所となっています。
それぞれの建築物やエリアには、乾隆帝や西太后の意向や趣向が反映されており、頤和園の魅力を余すところなく伝えています。

頤和園の観光情報

頤和園を訪れる際に最適な時期は9月前後です。
夏の暑さが和らぎ、快適に過ごせる時期であり、観光に適しています。
頤和園の入園料は、大人で30元。
ただし、11月から3月の間は閑散期料金として20元になります。
また、園内の各スポットで別途料金がかかります。具体的には、徳和園が5元、仏香閣が10元、文昌院が20元、蘇州街が10元。これらすべてのスポットを観光する場合は、60元の共通券を利用するのが便利です。

頤和園は、北京市海淀区に位置し、アクセス方法としては、地下鉄やバスが利用可能です。
主な入場門としては東宮門と北宮門がありますが、東宮門から入場し、主な名所を観光しつつ、
北上して、北宮門から出ていくルートをお勧めします。

頤和園は広大なエリアであり、足場の悪い場所もあるため、観光する際は動きやすい格好で、スニーカーなどの歩きやすい靴を履いて行きましょう。

頤和園の見学時間は季節によって異なります。
4月から10月は6時から20時まで、11月から3月は6時30分から19時まで開園。
入場券の販売は閉園2時間前までとなっています。

頤和園の歴史

最後に、頤和園の歴史もご紹介します。

頤和園の歴史は12世紀に遡ります。この時期、金朝の時代に行宮が設置されました。
清朝の初期には、頤和園の土地は宮廷の養馬場として利用されていました。

頤和園が現在の規模になったのは、清朝6代皇帝乾隆帝の時代です。
乾隆帝は1750年、母親の崇慶皇太后の還暦を祝って「清漪園(せいいえん)」を造営。
この庭園は杭州の西湖を模して造られ、湖の掘削で発生した土砂を利用して甕山を拡大し、「万寿山」と改称しました。
1764年、洋銀480余万両の費用をかけて清漪園は完成。

道光年間以降、清漪園は国力の衰退と共に荒廃し、庭園は雑草に覆われるようになりました。
1860年のアロー戦争では、清漪園と隣の円明園が戦場となり、大部分が破壊。
その後、1875年に即位した光緒帝の時代、西太后が清漪園の再建を始めました。1884年から1895年にかけて大規模な再建が行われ、完成後に「頤和園」と改称されました。

しかし、1900年の義和団の乱では、八カ国連合軍が北京に侵入し、頤和園も再び破壊。
西太后はこれに動じることなく、1902年に再び修復を進めました。
修復後の頤和園は、皇室の私有財産として1914年から有料で一般開放を開始。
1924年には溥儀が紫禁城から放逐されると、頤和園は北平特別市政府に接収され、公園となりました。

1949年の中華人民共和国の成立後、頤和園には中国共産党中央党校が設置され、その後も一般開放されました。頤和園は、その長い歴史と度重なる再建を経て、現在の形となり、多くの観光客に親しまれています。

頤和園は、その広大な敷地内に様々な建築物や景観を持ち、中国の歴代皇帝が描いた夢とビジョンを体現しています。これらの要素が融合し、頤和園は世界的にも評価される文化遺産となっています。是非訪れてみて、その歴史的価値と文化的魅力を感じてみて下さい。

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